理想のままの理想は、若くして死ぬ
これは創業者の第二の発見で、第一のものと同じくらい重要です。理想のままの理想は、若くして死ぬ。一九六八年の世代がそれを証明しました。愛と共同体と自然について、これほど語られたことはなく、そして語られたことのこれほど多くが、まれに見るほど蒸発しました。
生き延びるのは、宣言されたものではなく、営まれたものです。そして営みには物と機会と儀礼が要ります。遅さについての確信は、急かせないワインのなかで生き延びます。誠実さについての確信は、何も隠していない食べ物のなかで生き延びます。現前についての確信は、部屋の誰もその上に言葉を重ねたくならないほど忠実に再生された音楽のなかで生き延びます。
物は中立ではない
ワインや布やスピーカーの質が、人柄の質にほんのわずかでも影響するのはなぜでしょうか。答えは、近代が忘れ、職人なら誰でも知っている単純な心理の真実にあります。私たちは繰り返すことになり、そして私たちが繰り返すのは、日々の物が私たちを誘うことなのです。
物は中立ではありません。どの物もひとつの誘いを帯びています。APANI のどの物も、意図して、心理的な意味を十全に踏まえて、ひとつの徳へ誘うように設計されています。ゆっくりとしか姿を見せないワインは、忍耐へ誘います。誠実なものから作られた食事は、感謝と会話へ誘います。生きた繊維の衣は、自分の身体への注意へ誘います。真実を再生する音楽システムは、静けさと注意と仲間へ誘います。
移っていく基準
もうひとつの心理の法則が働いています。より繊細で、同じくらい強いものです。ある領域で保つ基準は、ほかの領域へ移っていきます。スピーカーのなかの偽りの音を聴き分けられるようになった人は、議論のなかの偽りの音も聴き分けはじめます。誠実な食べ物で鍛えられた舌は、不誠実な言葉への好みを失います。本当の質を自分の感覚で感じた者は、贋物がどこに現れようとそれを見抜く、生涯の、買収されない道具を手にします。
このページの主張
APANI の生き方は、その製品を使うことを通して自らを表し、その日々の使用を通して生きることの哲学になります。忍耐をもって開けられた一本、誠実に作られた一食、注意をもって身につけられた一枚、本当に聴かれた音楽の一夜。そのどれもが、大きな徳の小さなリハーサルです。そしてそのリハーサルは積み重なります。
製品は目に見える部分です。生き方こそが、本当の製品です。








